ここ1ヶ月ほど、子供の自殺について考えていました。
難しすぎて、途中一旦離れたりもしたので、実質そんなに長くはありませんが…。
きっかけは、この記事を書いたことからです。
《目次》
青年の死因順位第1位が自殺
子供に絶対にして欲しくないことの一つ、自殺。
世の中には「自殺したい」と思っている人がごまんといます。
そして、1日50人以上の方が自殺によって亡くなっています。
年齢階級別の死因順位でも、15-39歳では自殺が第1位となっています。そして、男女で比較をすると、男性が女性の2倍近い死亡率であることがわかります。
参考URL:http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/81-1a2.pdf
なぜ、人は自殺をしてしまうのか
手ががりを掴むため、インターネットやSNSで公開されているメッセージを読ませてもらいました。
- 失敗ばかりする自分は社会にいらない人間
- 生きていても何もできる気がしない
- 辛い
- 苦しい
- 逃げたい
- 解放されたい
- 消えたい
- 存在しなかったことにしてほしい
- 自分がいなくなっても誰も気にしない
- 変わりたいけど変われない、そんな自分に嫌気がさした
- 居場所がない
- 生きる意味がわからない
- …
読んでいるだけで息が苦しくなり、悲しい気持ちになります。
そんなことないよ、きっとこれからいいことがあるよ、だから頑張って。
どうしても無責任にそんな言葉をかけたくなってしまいますが、実際はメッセージを送っている人のことは全く知らないわけで。
彼、彼女がどんな体験をして、どんな気持ちなのか、どんなことを考えているのかということも理解せずに、安易に頑張って、生きて、とだけ都合よく言うことはできません。
何もできない歯がゆさだけが残ります。
「死にたい」と思ったとき
実は、私も人生で一度だけ、「死にたい」と思ったことがあります。
浪人して、寝食も忘れるほど勉強して、その成果もあってか模試でもそこそこ良い成績を取れるようになって、万全の態勢で臨んだセンター試験。
余裕だと思っていた英語の試験で終了数分前にマーク欄がほぼ最初からズレていることに気づき…。
最後は過呼吸になって退場。そのあとのリスニングを受けられず、行きたかった大学は受けられなくなってしまいました。
連れていかれた待機室のことはほとんど覚えていません。
ただ、すごく覚えているのは、「死にたい」と思ってしまったこと。
駅前のスーパーに行けば飛び降りられるかな。高額な予備校のお金まで出してもらって、合格をとてもとても楽しみにしてくれていた両親に合わせる顔がなくて、恥ずかしすぎてもういっそ死にたい。消えたい。そう思ってました。
呆然としながらもそんなことを考えて、監督者に「私、帰れます。大丈夫です。」と言い、外に出ようとしました。しかし、監督者は絶対に部屋を出してくれなかった。親御さんが迎えに来てくれるまでこの部屋にいなさい、と。
あの時の自分の態度がどうだったかなんて全く客観的に捉えられることはできなかったけど、もしかすると何か感じるものがあったのかもしれません。
父が迎えに来た時、あー、もう消えてしまいたい、お願いだから消してほしい、と本気で思いました。穴があったら入りたいなんてそんなレベルではない恥ずかしさ。
けれど、父が私に言ったのは「お疲れ様」、ただそれだけ。
家に帰った後、しばらく部屋にこもっていた私に母が言ったのは、「起きたことは仕方ないし、もう明日は来週の試験の準備したらいいんじゃない?」それだけ。
あれ?それだけ??
何やってるの!!バカじゃないの!!??とかではなく???
何事もなかったようにスルー。
そこで、あれ、もしかして人生変わる受験とか思っていたの私だけ??大学にこだわっていたの私だけ???
と、ふと我に返ることができました。
確かにあの時第一志望の大学に入っていたら、人生は変わっていたかもしれない。
けれども、あの時変わったからこそ今の自分の人生があるわけで。大学で一生の友達に出会えたり、尊敬できる先輩や同僚がいる職場に入れたり、旦那に出会えて、なによりこんなにも愛しい娘に出会えることができて。
あの時人生は変わってよかったのかもしれない。今考えると心からそう思えます。
今回、自殺について考えてみたことでわかったこと
最初は自殺の原因を調べて、そこからそれに対して何かアクションができるかな、という気持ちでした。
しかし、調べていくうちに、原因なんてわからない、という結論に至りました。
かつての私がそうであったように。他の人にとっては些細なことであっても、本人にとってはとてつもなく重要なことなのかもしれない。失ってしまったら死んでしまいたいと思うほど、大切なものなのかもしれない。
なので「死にたい」と思う原因を排除することはとても難しいことのように思えます。
さて、ではどうするか。
死にたいと思うことはあるかもしれない。けれど、どうか実行はしないでほしい。
死にたいと思うことはあるかもしれない。けれど、どうかそれでも生きていたいと思ってほしい。
大切なのは、ここかもしれません。
そのために親としてできること
それは、
- あなたが生きているだけで幸せだと思える人がいること
- 生き物にはいつか必ず死が訪れること、人も生き物であること
- 与えられた命は決して無駄にしてはならないこと
- 命以上に大切なものはないこと
- 生きていれば死んでしまいたいと思うほど辛い経験もあること
- 辛い時は抱え込まずに周りの人にヘルプを出すこと
- 生きることは楽しいということ
これらをできる限り深く身をもって体験し、理解してもらうことなのではないかと思いました。
しかし、
「なぜ命を無駄にしてはならないのか?」
という問いに対しては、あまりにも当たり前すぎて、まだ納得のいく説明ができません。
実はこの説明がうまくできなくて、ブログでのアウトプットが滞っていたのです。
しかし、完璧な人間はいないもの。自分の未熟さを痛感しながらも、そんな今の自分そのままをさらけ出すことにしました。
「なぜ命を無駄にしてはならないのか?」
ここについては引き続き考えていきたいところです。
非常に長い間考え、途中で記事にするのも諦めかけました。最終的にはとても簡潔なアウトプットになってしまったところに自分の不甲斐なさを感じますが、これでまた、なんとか前に進めそうです。
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